あれから6年半経った被災地を巡ったので紀行文を書きたい(目標)

自分が書いたとは思えない「はじめに」の記事を見て恐々としている(仰々しい…)。ただむしろ、これぐらい胡散臭く長ったらしい記事をはじめに据えておけば、後に続く記事もそこそこ長く(胡散臭く)書けそうである。ものは捉えようである。

 

先日をもって東日本大震災から7年半が経った。この節目に待ってましたとばかりに身を乗り出して何か語れるほど、東北の被災地に対して一家言持ち合わせているわけではないが、ちょうど1年前、私は三陸をめぐる旅をしたことがあった(タイトルが1年ずれているのはそれである)。それは1週間ほどで、寝泊りもネットカフェか野宿、そこで何か広い知見を得たとか、深い思索にふけったとかそういうこともない、いろいろと寂しい道中であった。ただそういうことがしたくて現地に赴いたわけではもともとなかった。単に「自分の中で風化させない」、それが目的であった。だから、見聞きした「掛け値なしの被災地」に自分の薄ぼけた思索を乗っけることは、今回望むところではなかった。

 

以上言い訳であるが、あまり思索を巡らせない、とぼとぼ歩くだけの旅になったので、いわゆる紀行文みたいなものも書きやすいと思う。それ自体継続性が予定されている紀行文というジャンルに筆をおくこともできなければ、ブログ自体続けることも向いていないという何よりの証左になろうから、今回はブログ登竜門として、三陸の紀行文をつらつらと最後まで書いていきたいと思う。途中、日々の雑感などが挟み込まれるかもしれないが、ご容赦頂きたい。

 

今回の記事はこれで終わりという体たらくであるが、次回以降に紀行文に手をつけていきたいという所存は間違いなく持ち合わせている。おわり。