はじめに(2度目のブログにあたって)

1年間の留学に旅立たんとする友人が、出発前、彼が書き綴っているブログの存在を教えてくれた。彼とは1ヶ月以上、2人きりでヨーロッパを旅して回ったことがあった。パリから始まり、ブリュッセル、ウィーン、プラハブダペストをまわって折り返す。ベネチアリュブリャナマルセイユを経てマドリードで発ち、アブダビを経由して東京で別れた。ブダペストバルセロナで彼の友人と行動をともにすることもあったし、ベネチアジェノバでは単独行動を取ることもあったが、それも数日だけで、基本的には男2人の旅だった。彼は聡明で、教養も語学力もあり、少なくともうわべの(これは彼自信が言うところであるが)コミュニケーション能力は十分にある。私が尊敬する数少ない人物でもある。

 

ただ旅行中、彼とはうまくいかないことも多々あった。それはその時の自分にどう考えても落ち度があることもあれば、その逆も同じぐらいある、と言いたいところだが、その時の自分は過去最高に落ち込んでいて、原因は自分にあると考え、くよくよ鬱々としていた。その消極的な態度がさらに2人の関係を、悪い方向にごろごろと転がしていってしまっていたのである。ただブダペストベネチアマルセイユといった都市で決定的な経験を重ねるに従って、むしろそれはどちらか一方に帰責されるとか、どちらかに優劣があるとかそういう問題ではなくて、結局差異の問題であるという考えに思い至った。字面で追うとありきたりな結論でしかないのだが、人から言われるのと、自分で0から結論をひねり出すのでは雲泥の差があるし(ここだけは優劣の問題かもしれない)、説得力も違う。この辺りはまた、おいおい書いていきたい。

 

帰国後は、彼とはむしろうまくやっていたと言っていいだろう。旅行中に感じ取ったその差異が帰国後の彼に映り込むこともままあったが、むしろその差異を理解できたことで、そこは割り切って考えられていたように思っていた。

 

ブログを遡ると、彼は帰国して1週間後、最初の記事を書き始めていた。 彼らしいと思うところもあれば、知る限りの彼に照らして、意外に思える箇所もあった。いずれにせよ、見知った友人の考えが文字として浮かび上がるのは新鮮で、興味深いものであったことは言うまでもない。すらすらと読み進めるさなか、一人の登場人物として私が現れたのは、7月末、彼と別の友人と3人で飲み会をした数日後の記事だった。名指しでは当然なかったが、すぐに私のこととわかった。そこでの自分は、かぎかっこつきの「友人」として描かれていた。私は「自分のことに精一杯」と評され、「その程度の友人しか作れなかった自分の自業自得」と彼は綴っていた。

 

感情は文字にならないが、文字にならない感情はそのまま消えていく。それを目にした時に頭に浮かんだことはよくわからないが、友情への信頼が裏切られ悲しいとか、自分も全く同じことを思っていたとか、そういう類の、至極簡単に手中に収まるものではなかったことは確かだ。そうであったならば、一度手をつけて全く続かなかったブログを再び始めようとは思わなかったし、詮無い思索を走らせることもまたなかっただろう。その時湧き上がった感情はいったいなんだったのか。「言葉にできない」「複雑な気持ち」。そういった判を捺して封をし、奥底に畳みこんでしまってよいものであったか。

文字にしなかったその答えは、もうおそらく浮かんでこない。感情や思考は脳みそのある場所から別の場所へと止め処なく、二度と同じ形を成すことなく流れているのに、それをせき止めず、すくい上げる努力もしない。果たしてそれで良いのだろうか。

 

突き詰めてしまえば、「自分の思いが霞んでいってしまう前に文字にしたい」というありがちな集束点に滑り込んでしまうのかもしれない。そして今回もまた、三日坊主で終わってしまうのだろう。ただ自分のケースにおいて間違いなく言えるのは、感情を文字にする、それこそが唯一の(あるいは最善の)、自己を知り、そして他者を知る道であるということだ。